普通のことが出来ません

他の人が当たり前に出来るのに、大人の発達障害だったり双極性障害だったらパニック障害で日々生きづらさを感じながらの毎日のアレコレ

年内最後の診察

27日が年内最後の診察日でした。
まだ、フラッシュバックが続いているので先生にそう言うと、仕方ないなぁ…とのことでした。確かに薬とかで頭の中の残像が消えるわけではないですもんね。
こればっかりは、時間しか解決してくれないのかも知れません(=_=)



薬の方は今日からラミクタールが25㎎から50㎎に増量です。
ラミクタールって2週間づつ量を増やしていくんですね。最大量って何㎎まで増えるんだろう?



ちなみに今私が服用してる薬は


朝⇒デパケンR200㎎×2、ストラテラ40㎎×1、セファドール25㎎×1、ナウゼリン10㎎×1、ポララミン2㎎×1(セファドール・ナウゼリン・ポララミンは昼夜も同量)


夜⇒デパケンR200㎎×2、ストラテラ40㎎×2、ジェイゾロフト100㎎×1、エビリファイ3㎎×1、ラミクタール25×2


寝る前⇒カタプレス0.15㎎×1


頓服⇒ロラゼパム0.5㎎×1


1日で21錠(頓服はぶいて)



多い…でも、ラミクタール飲むまでは寝る前にカタプレスとリポトリールを3錠づつ飲んでたからこれでも錠数で言ったら減ってるんですけどね(;´▽`A``



かと言って、正直薬局で他の患者さんの薬見てると、ここまで多い人いないし、先生にも薬多いなぁって笑われるし(って処方箋出してるの先生やん!と内心ツッコミ入れてます)まぁ、私の場合、双極性・パニック・発達障害・アレルギーって色々あるから特に多いのかもですが、正直心療内科で他の人達がどれぐらいの薬を飲んでおられるのか正直気になります。



先生曰くラミクタールが合えば減らせる薬あるって言ってたのでそれに期待( `ー´)ノ
PTSDが出るまでは合ってるような気がしてたし副作用も出てないしね!



錠数減らないと毎日毎日あれ飲んだ?数が足りない!何忘れてる?って一人でかるた大会みたいになるんで面倒なんですよね💧何が効いてるかも正直分からないし。



取りあえず、来年の目標は減薬です。

クリスマスイブイブ

イブイブ皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?
愛する家族や恋人、お友達と過ごされてる方が多いんではないんでしょうか?
私は家で愛犬たちと普段と何一つ変わらない日常を過ごしてます。




PTSDの症状はまだ続いていて、ずっとずぅーーーーーーーっと頭の中を事故当時の残像が絶え間なく駆け巡ってます。
ほんの一瞬でいいから一旦停止になってほしいと思ってます。




私は母が亡くなってからイベントごとを誰かと一緒に過ごしたことはありません。
クリスマス、お正月も勿論一人です。
クリスマスはまだいいんですがお正月は毎年すごく孤独を感じてしまい、何だか落ちてしまいます。




そして、その後にやって来る両親のひき逃げ事故の日(父の命日)と続くので1月は毎年体調を崩してしまいます…



せめて兄弟とか恋人とかがいたら、立ち直ることは出来たんだろうか?と考えますが実際いないのに考えても仕方ないか…っていう思いと、これ以上大切な人を失いたくない恐怖心で恋愛にも友達付き合いにも臆病になってるだと思います。



初めから一人なら失うものなんて無いですもんね(愛犬たちは別ですよ)



でもいつか願いがかなうなら誰かと年末年始を過ごしたいです

残念ながら・・・

まだ、闇の中から抜け出せずにいます。
何をしてても事故の事がよみがえり苦しくなります・・・
感情もイライラ以外わいてきません・・・
気分転換にと本を開いてみても、音楽をかけてみても、テレビを付けてみても、しんどくて見てられないし聞いてられない・・・




きっと、現実には両親が他界してることは勿論分かっているし、受け入れてるつもりでいるけど本当は何も現実の事として受け入れられてないんでしょうね・・・



数年前、当時の友達に「いつまでうじうじしてるの?あんたより辛い思いしてる人は山ほどいるんよ」と言われましたが、当時彼女は両親は健在、自分の姉、兄、ご主人、小学生の娘と幼稚園の息子、何なら田舎の祖父母までご健在でした。
大切な人を一人もなくしたこともなく、一人っ子で母が亡くなったことで天涯孤独になってしまった私の気持ちなんてわかるわけがない!とそこからどうしても彼女を受け入れられなくない、関係をフェイドアウトしたんですが、この言葉も今も私を苦しめてます。




確かに、一人娘が20年近くたってもこんな風に堕ちてる姿を天国から両親が見てるならば心配で仕方ないでしょうしね。
自分でも正直しつこいなって思いますし₍いちいちPTSDが出ることが)



一層の事記憶喪失にでもなれればと思います。
(母は事故前後の事を全く覚えていなかったんです、だから母が少しづつ記憶をよみがえらせる過程で母が事故前後の事を聞いてくるので説明しないといけないことも凄く辛かったです)